19日。午後7時。六本木の歩道に、僕は立つ。 / 世川行介

11月 12th, 2011  |  Published in 主張

19日。午後7時。六本木の歩道に、僕は立つ。 / 世川行介

 この日記の<良質なる未知の読者>にして、 
 一連の<小沢一郎事件>を「我がこと」として受け止めている皆さん。

 今から僕の語ることを聞いてください。

 今日、「小沢一郎ウェブサイト」を見た人たちはわかったと思いますが、
 11月19日、午後8時30分から、
 小沢一郎が田原総一郎と、徹底討論をします。

 場所は、六本木です。 
 
 討議内容は、「小沢一郎ウェブサイト」によると、
 
    昨今、注目が集まっている政治資金規正法違反に関する裁判や、
    今後の日本の立て直しなど
 
           ① 小沢裁判とは何なのか。
           ② 民主党をどうする。
           ③ 日本をどう立て直すか。
  
 だそうです。

 皆さんご存知のとおり、
 田原総一郎という評論家は、小沢一郎に対して、きわめて批判的な人物でした。
 僕は、いつだったか、彼が、
 森善朗か誰かに向かって、
「小沢さんだけは駄目ですよ。
 あの人にだけは政権を取らせては駄目ですよ」
 と言ったのを、今でも記憶しています。
 少し真面目に物申せば、
 田原総一郎という人物は、
 社会主義の毒を飲み込んで、その毒を吐き出せずにここまで来た男でした。
 その田原総一郎と、小沢一郎は、徹底討論するのです。

 これは、小沢一郎が、
 たった独りで、  
 世間に向かって、
「自分は、これから、どんな障害物とも戦って行く」
 という覚悟を示したものなのです。

 
 僕は、この数か月、考えました。
 小沢一郎をこの苦境から救済するにはどうしたらいいいのか、
 夢想ではなく、現実を直視しながら、本当に考えました。

 そして、
 結局、
 小沢一郎の支持者、理解者、支援者が、この日本には大勢いる、
 という事実を、社会に見せつけるしかない、
 それしか世間の小沢評価を変える方法はない、
 と思うに至りました。

 僕は、小沢支援小規模デモの趣旨や、参加者の心情を否定するものでが、決してありません。
 それにでもすがりたい彼や彼女たちの気持ちは痛いほどによくわかっていました。

 しかし、
 戦いは、「心情」だけでは勝てないのです。
 <戦い>は、「敗北の美学」や「自己満足」を味わうためにやるのではありません。
 まず、戦いに勝つこと、
 それが一番の目標であるのです。
 それにしては、戦略が、あまりにも稚拙すぎる。
 こんな稚拙な戦いをしていては、必ず戦いに敗れる。
 僕は、そう思いました。

 僕は、
 小沢一郎に、この戦いを勝たせたかった。 
 勝たないまでも、国家権力と五分五分の「痛み分けの戦い」をさせたい、
 そう思ってきました。
 だから、
 それなりの道を探しました。

 しかし、
 はっきり言って、
 今の状況では、
 小沢一郎が国家権力に「勝つ」は難しい。
 法権力を握った官僚システムに、今の孤独な小沢一郎は、どうしても、勝てない。
 であるなら、
 勝たないまでも、「敗けない戦い」の道を探すべきではないのか、
 と思うに至りました。

 といったことを考えた挙句に、僕は皆さんに訴えたい。

 11月19日、夕方から、小沢一郎は、六本木にいます。
 僕たちは、
 僕たちの小沢一郎支援行動の「第一弾」として、
 小沢一郎に、
「小沢一郎、頑張れ!」
「敗けるな、小沢一郎!」
 そんな声援を送るところから始めてもいいのではないか、
 と思いました。

 その時、
 小沢一郎は、六本木のビルの中に、孤独な心を持て余して座しています。
 彼は、孤独です。
 彼は、いま、本当に、独りぼっちです。
 その小沢一郎に、
「頑張れ!」
 と声をかける人が現れたら、小沢一郎は、どんなに励まされることでしょう。
 自分は独りきりだ、と思っていた戦いに、
 自分を思ってくれる大勢の人たちが、全国各地から集まってくれた、
 と知ったら、
 どんなに励みなって、
 田原総一郎という反小沢の論客との討論に向かっていけることでしょう。

 皆さん。

 ぼくたちの戦いは、
 まず、当事者である、小沢一郎の、少し痛んでいる心を慰撫するところから始めようではないですか。

 小沢一郎支援運動は、一回だけの勝負ではないですよ。
 まだ、あと、最低2回、戦いの場を、僕は想定しています。
 今回は、その一回目です。

 これは、デモではありません。

 自立した個々の人間が、自分の意志で、愛してやまない小沢一郎に声援を送るために、
 六本木に、自分の足で出向くのです。
 出向いた場所に行ったなら、
 そこに、同じ思いの人が、何十人か何百人か知らないが、いた。
 それだけの話です。
 デモの認可だ、コースの認可だと、
 何を、小沢一郎を抹殺しようとしている国家権力の許可を受けなければならないのですか?
 何が悲しくて、そいつらの意向に沿った小沢支援行動をしなくてはならないのですか?

 僕たちは、そんな、国家権力の認可などいらない「支援行動」を模索するべきだったのです。

 仮に、
 それでも、「今度の行動の責任者は誰だ”!」とやってきた時には、
 すべての責任は、僕が受ける、
 と、僕はこの日記で公言しています。
 逃げも隠れもしません。
 ブタ箱でもどこでも行きますよ。
 呼びかけ人の僕が言うのですから、なんの問題がありましょう。

 これまで小規模デモに参加してきた皆さん。
 僕は、あなたがたのリーダーを責めたことはあっても、
 参加者のあなた方を責めたことは、ただの一度もないです。
 だから、言わせてもらいます。

 いま、
 あなた方の思いを、一番効果的に行使すべきです。
 一度しか会ったことのないリーダーの「コスゲ(?)」さん。
 あなたも、雑念は棄てて、あなたのファンに呼びかけてください。
 これまでのことであなたに不満があるのなら、
 一切のことは、僕が「悪かった」と頭を下げます。
 土下座をしろと言うのなら、土下座をするのも厭わない。

 だから、
 いま、 
 小沢一郎支援活動を実りあるものにするために、
 それぞれの持っている力を結集して、
 19日、六本木で、
「小沢一郎、頑張れ!」 
 と、みんなで叫んで、
 道行く人が驚くような支援運動にしませんか。

 読者諸氏。

 今日までは、黙っていたけれどの、
 僕は、今度の本の売上金で、
 ネットを知らない小沢一郎支持者のために、
 新聞で一面広告を打つつもりで、
 交渉をやってきました。
 それも、僕独りきりの責任でやる腹です。

 この世に、突然、「小沢一郎を激励する会」というのが作られた。
 会長は、世川行介。会員は菊地研一郎。
 たった2名だけの会です。
 その会の名をもって、僕たちは一面広告を打ち、
 全国の小沢一郎支持者に、支援活動への参加を訴えます。
 僕が、予約注文を頼む、と書いてきたのは、そのためなのです。 

 小沢一郎に愛情を期待を抱いてきた皆さん。

 やろう。

 小沢一郎を見殺しにしない戦いを、みんなでやろう。

 19日の六本木は、
 その第一弾だ。
 まず、そこで、僕たちの存在を、社会に見せつけよう。
 もう、口先はいらない。
 いま必要なのは、一人一人の肉体だ。

 東京在住でない人もいるだろう。
 旅費は大変だ。
 だけど、それを承知の上で、僕は皆さんに訴える。

 これは、小沢一郎にとって、「最後の戦い」なのだ。
 もう、次の戦いはないのだ。

 だから、
 万難を排して、
 19日、午後7時、
 六本木の歩道に立って、
「小沢一郎、敗けるな!」
「小沢一郎,頑張れ!」
 と、
 声を嗄らして声援を送ってくれ。

 僕からのお願いだ。

お願い / 世川行介

11月 8th, 2011  |  Published in 主張

お願い / 世川行介

<小沢一郎事件>を「我がこと」として受け止めている首都圏在住の皆さん。

 窮地に追い込まれた感のある小沢一郎に、自分なりの花束を贈るために、
 ぼくは、今日から、次の戦いに向けて進みます。
 そのための基礎工事と思って書いた『角栄と一郎』も書き上がりました。
 今回、僕は、あなたの隣に生活しているもう一人の誰かに読んでもらうための本を書きました。
 その内容は、半分程度は、この日記に掲載します。
 何なら全部ここに掲載したっていい、とさえ僕は思っています。
 いま大切なのは、
 一冊の「製本された書」をもって隣のだれかに小沢一郎理解を求めるということだ、
 と考えているからです。
 それだけの小沢熱を持った人間が動かなくてはならない時期が来たのだ、と思っているからです。
 それくらいの本には仕上げましたから、内容については安心してください。

 僕は、この半年以上、
 このままで何もせず、小沢一郎を「悲運の政治家」で終らせるとしたら、
 それでは、<時代の負性>を一身に背負ってきた小沢一郎があまりも不憫すぎる。
 なによりも、
 彼のために一滴の血すら流すことなく終る自分自身であるならば、
 そんな自分は、この戦後昭和を生きてきた人間として、あまりにも情けない自分である、
 そう思ってきました。

 もしも、皆さんの中に、
 小沢一郎に対して、この<時代の風化>に対して、僕と同じ思いの人がいましたら、
 詳細は11日のここに掲載しますが、
 どうか、
 11月19日。
 是非とも出てきてください。
 万難を排して出てきてください。

 小沢一郎にとって、勝負どこは、4月の判決時なんかではありません。
 4月には戦いなんか終って、
 小沢一郎は、間違いなく、「執行猶予付きの犯罪人」にさせられています。

 今なのです。
 今から最終尋問までの数ヶ月こそが、小沢一郎にとって最も苦しい坂道なの「です。
 その状況認識を失っては、すべてを見誤ります。

 高い政治理念を掲げ、20年間を孤独に戦い続けてきた小沢一郎が、
 いま、いかにも彼らしく、ひとことの愚痴も涙もこぼさずに、
 既得権力システムに向かって、堂々と戦いを宣言し、
 負ければ社会的生命さえ失いかねない「最後の戦い」に向かっているのです。

 彼を、
 小沢一郎を、
 独りきりで戦わせてはいけません。
 それでは、あまりにも、小沢一郎が不憫すぎる。
 戦後昭和の知性の一等良質な部分を握りしめてここまで戦ってきた小沢一郎が、
 あまりにも不憫すぎる。

 かれを見殺しにしてはいけない。
 小沢一郎の志と政治理念を野垂れ死にさせることは、
 僕たち戦後昭和を生きて人間は、それだけはやってはいけないのです。
 強固な既得権力システムには勝てないかもしれないけど、
 それでも、小沢一郎を勝たせるための努力を最後の最後までし、
 せめて、戦いに向かう小沢一郎の背中に、
「頑張れよ!」
「敗けないでくれよ!」
 そんな一言くらいかけてやらなくてはいけないのです。
 それが、戦後昭和を生きてきた僕たちの意気地というもののはずです。

 そうした僕たちの姿を見せることでしか、
 後世代に胸を張って<何か>を残すことができないくらいに、
 <小沢一郎事件>は、僕たちにとって切実な事件だ、と僕は理解していますので、
 いま、この場所から、<未知の読者>の皆さんに訴えさせていただいています。

 みなさん。

 どうか、11月19日、
 みなさんのその身体を、
 他の誰でもない、
 小沢一郎という、悲しすぎるほどに直球を投げ続けた政治家の「最後の戦い」のために、
 都心にまで運んでやってもらえないでしょうか。

 お願いします。

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おかしいと言えば、こちらの裁判もそうだね / 三上治

10月 22nd, 2011  |  Published in 主張

おかしいと言えば、こちらの裁判もそうだね
                    10月17日
                    三上 治

 
例の立花隆が「週刊現代」で小沢一郎の悪口を書いている。
 「小沢一郎よ、お前はすでに終わっている」という表題の文章で小沢一郎の裁判批判を反批判しているのである。例によってカネにまつわるうわさ話を真実のように仕立てて、結局のところ金権政治批判を繰り返している。「立花隆よ、お前の文書や思想こそすでに終わっている」というべきである。
 こういう品のない文書を書けるのもちょいとした驚きだが、かつて立花が田中角栄の「ロッキード事件」に関わり、アメリカや官僚の角栄殺しの一端を担ったことを多くの人は分かっている。金権政治批判という目新しさと反権力的な装いに多くのひとは疑念を持ったにせよそれに取り込まれた。金権政治批判=クリーンな政治という理念が民主的、あるいは市民的理念であるような幻想が支配しそれは強固な理念として流通してきた。
 その理念は現在も浸透しているがそれへの疑念も大きくなっている。この間の時間の経緯の中で背後のアメリカや官僚の意図は暴露されてきている。
 それが見えないですでに終わっている太鼓を打ち鳴らしているのは立花である。

 「政治とカネ」のことを政治的主題にすることも思想的主題にすることもいい。その現実と矛盾を「政治と職業」という領域まで視野を広げそこでの課題を析出するのはいい。
 しかし、その場合いには「政治の中でのカネ」がどのような意味を持ち、政治理念(政治構想)の中でそれを明瞭にしなければならない。また、日本での「政治とカネ」の構造を析出し、それが政治的矛盾としてあるなら、その現実的解決策を持った政治的構想を提起しなければならない。
 立花の金権政治批判=クリ―ンな政治というのは今やその欺瞞性が疑われているものである。金権政治批判にもいろいろの立場がある。自民党政権が長く続いていた政治環境の下では金権政治批判は野党の主張であり看板であった。それは進歩的なものであり、市民的政治理念のように思われてきた。
 だから、田中角栄の政治資金問題の暴露を野党(当時の社会党や共産党)は同調し、そこに内包されるアメリカや官僚権力の意図には気がつかなかった。
 立花は市民的な理念に乗っかりながら、彼の田中角栄批判がアメリカや官僚権力の立場から田中角栄殺しに与するものであったことを故意に無視してきた。クリーンな政治という理念が一向に「政治とカネ」の問題を解決せず、それは闇にもぐったままで、アメリカや官僚権力の支配力強化の政治的武器に使われてきたのがこの現実である。
 田中角栄やその系譜の保守政治を金権政治=悪とする政治理念の背後の構造が暴露されてきたのに、立花はそこに目を向けられない。

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菅首相が嫌われていた反動であろうが / 三上治

9月 6th, 2011  |  Published in 主張

菅首相が嫌われていた反動であろうが
                      9月5日
                      三上 治

 豚も褒めれば木に登ると言われるが、
「俺はそんなこと言われなくても名産の福島の桃を木に登って食べているぜ」
と原発20㌔圏内で野生化した豚はのたまうかも知れない。
野生化した家畜の中でも豚は賢くてこれくらいのことはしていると想像できる。
これは笑い話にしておくが、庶民は野田政権をとりあえず褒めておくにしかずと思っているのだろう。
僕は庶民の知恵を無視する気はないが、野田新内閣にむしろ今は警戒の目を向けるべきだと考えている。

 菅内閣は一言でいえば「何がやりたいのか」「何をやろうとしていたのか」の不明な内閣であったと前回に書いた。
これは彼らの日本社会の現在から今後についての政治的=社会的ビジョンが貧困だったからだ。
それはまた彼らがまともな政治理念を持っていないことでもあった。
現実の政治はいろいろとやるべきことが押し寄せるから「やるべきこと」はある。
それは過剰にあると言ってもいいほどだ。

こうした現実を前にビジョンも理念もない政治家や政党が対応したらどうなるのか。
場当たり的な対応になる。菅政権はこうした典型であり、国民の不信の前に孤立し、
政権の座を降りるより他なかった。
菅政権が嫌われ過ぎた反動として野田政権に期待が寄せられているのだろうが(?)
果たしてこれに応えられるのだろうか。僕は否定的である。
それは新内閣を構成する野田首相も閣僚たちも菅内閣を超えられると思っていないからだ。
それ以上に菅内閣が無策であり、政治を混迷させた反動がやってきて
野田政権はそれに乗せられてしまうことを危惧している。

例えば、沖縄問題である。
この二年間の間は日米合意の再確認だけに留まってきた
普天間基地移転問題でアメリカ側はその履行を強く要求してくるかもしれない。
アメリカは背後で日本の経済力を取り込む戦略を持っていて、これを駆け引き材料にする。
アメリカに追随する防衛・外務官僚は日本の利益よりもアメリカの利益を優先して動くから、
沖縄県民の意向を無視しとんでもない暴走をやるかも知れない。
野田政権はそれに抵抗することなく乗せられる懸念がある。
日米同盟の名の下にアメリカの意向を優先して動く可能性が十二分にあるのだ。

菅を取り巻いていた面々の一人であった野田は今後の日米関係についてのビジョンも理念もない。
鳩山内閣の抵抗の残滓が消え行けばアメリカやその意向を代弁した日本の官僚の攻勢はより強まるし、
日米同盟論は日本のアメリカ従属度を一層強めるものとして機能する。
官僚にとって野田政権は菅政権よりも組みやすいのでありこの点はより警戒を要することである。
沖縄問題は一例であり、このことは全領域で言えることだ。

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混迷を深める政治は脱出路を見いだせるか / 三上治

8月 27th, 2011  |  Published in 主張

混迷を深める政治は脱出路を見いだせるか
   三上治
   8月25日

甲子園の高校野球が終わると何となく秋を感じさせる。
猛暑や真夏日が続いていたのだからどこか不思議な思いもして、
これが季節ということなのだろうかと感じたものでだが、
最近の気候はこの微妙な動きを壊し始めているようにも思える。
真夏の孤独感とは違う秋の気配に漂う寂しさを味わうことなんて
出来なくなるのだろうか。
 政権の執着していた菅首相もその座を降りるようで、後継を
目指してうごめく面々が報道の世界を賑やかにするが、政治的
混迷からの脱出を託せるような人物は見いだせない。

 政権交代後の民主党の面々が官僚やメディアの抵抗に出会う
ことは予想できたにしてもメディアの抵抗には準備は出来て
いなかったと思える。政権交代をメディアは後押ししているすら
民主党政権の面々は思いこんでいる節すらあったからだ。
 官僚の抵抗に対抗する基盤形成は意図されたにせよ成功はし
なかった。それは前に述べた通りだが、メディアの新政権への
抵抗にも対抗できなかった。小沢一郎の資金規正法や沖縄基地
問題でのメディアの新政権への抵抗は凄まじかったが新政権は
それに対抗する力も方途も持ち合わせていなかった。
 それだけではない菅や彼をかついだ仙谷などの面々はそれを
小沢排除という民主党内の政争の具に使い官僚やメディア、
その背後のアメリカの意図に添うべく自己変質をして言った。
 民主党の掲げた政権時の政治理念の弱さを懸念しつつも支持
した知識人や国民の気持ちを知らず、政治理念の欠如が自分たちを
どこに招くか一番知らなかったのは政権の座にあった民主党の面々である。
鳩山はこの恐ろしさを基地問題や対米交渉で実感したであろうし、
小沢一郎もまたそうであるのかも知れない。
 鳩山が沖縄の基地問題で沖縄の人々の声を呼び起こしたとき、
アメリカや官僚やメデイアが一番恐れたのは、彼がその声を
取り込み政治理念を固め直して立ち向かってくることだったであろう。
 彼がそうできなかったのは保守政治家であったためではなく、
大衆的政治家ではなかったためである。
 民主党の面々は大衆政治家の仮面をかぶることで政権の座に
就いたが、本物の大衆政治家に脱皮できなかった。民主党の
政治家に魅力がないのはチャンスがありながらそこへの命がけの
脱皮が見えないからだ。挑戦する姿もない。
 民主党政権は官僚やメディアや抵抗の中で変質した。これは
腹立たしいことではるがその結果として国民の意識は変わり
はじめたし、官僚やメディアの内部での批判的部分も生まれた。
沖縄の地域住民の自立意識はその象徴であるが、現在の政治的
混迷を脱する基盤も出来始めている。可能性は生れている。

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ドイツは社会的に憲法9条を創出した/三上治

8月 8th, 2011  |  Published in 主張

ドイツは社会的に憲法9条を創出した
   8月7日
   三上治

 8月は戦争について僕らが考える季節だ。若いころは暑い広島に出掛け、
デモをやったこともあった。また、ある時期は書評紙で時評をやっていたが、
この季節になると論壇のテーマが戦争になって行くのを知った。儀式めいて
いるという思いがしないではなかったが、戦争が国民的課題として大きな位置を
占めているのだと納得もし得た。戦争について論壇で展開されるものは
時代によって大きく変わってきたが、変わらないのは戦後に国民的意志として
深まった非戦の意識であろうか。僕も8月になると戦争についての議論や認識に
いつもの月よりも意識が向くのだが、今年に一番注目しているのはなにだろうか。
ドイツの原発からの撤退である。

 ドイツの原発からの撤退には福島の原発震災が大きな影響を与えている
ことはいうまでもない。本当は日本こそがその先陣を切らなければ
ならないことだったと思えるが、これは福島の原発震災の世界史的意味を
真っ当に受け止めた事だと言える。福島の事件は人類が放射線との矛盾を
社会的に示したことである。放射線と人類の問題は第二次大戦における
アメリカの核兵器の使用としてあらわれ、これは戦争観の問題に大きな影響を
与えてきた。戦争は人類史的行為として避けられないことであり、国家は
戦争を宿命のように背負っているという思想に反省を促すものであったし、
歴史的な戦争観の解体の契機にもなった。日本の憲法9条はそれを最も
尖端的に表現するものであった。だが、放射線を兵器に使うこと、
またその現実的な使用について闘うことは人類史的課題であることが
登場したことに比すれば、放射線の社会的使用については必ずしも
そうではなかった。原子力エネルギーの兵器としての使用(軍事的使用)に
対する批判の意識に対して、社会的使用(産業的使用)は批判の
意識が薄かった。「原子力エネルギーの平和的利用」というのは
それを象徴することであった。

 ドイツの原発からの撤退は放射線との社会的闘争を宣言するものであり、
実践するものである。原子力エネルギーの社会化(産業化)は
自然科学的知が社会に持ち込んだ現在の戦争である。自然科学的知が
権力を媒介に社会に対して演じている戦争なのだ。放射線と人類との
戦争を社会の場面に持ち込んできたのだ。その根源にあるのは
知と権力であるが、ドイツの原発からの撤退は社会的な意味での
憲法9条の創憲に匹敵するのだ。核兵器と原発の存在の同一性が
論じられるようになってきたが、その差異は政治性と社会性であり、
人類の存在に倫理的反する点では同じものだ。

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復興の精神と日本の帰路(五) / 三上治

7月 25th, 2011  |  Published in 往復書簡

復興の精神と日本の帰路(五)
7月22日
三上 治

 暑さは人から冷静さを奪う。同じ熱さでもこちらは違う。
「なでしこジャパン」から伝わってきたのはこの熱さであるが、
経団連の夏季セミナ―における菅首相や政府批判はどうやら
こちらの暑さのようだ。
 新聞やネットで伝えられるところによればセミナ―では
菅首相批判の嵐のようだ。
 とりわけ、脱原発発言に対する批判が強く、原発の再稼働が
止められたことへの苛立ちが高まっているようにうかがえる。
 このままだと電力供給が逼迫し、やがては電力コストが上昇し
企業は海外に移転するというものだ。このことは雇用の喪失に
つながるという、半ば脅しのような発言が続いている。
 原発によるコストの安い電力に未練たらたらのような発言なのである。

 日本の大企業、とりわけ経団連を構成する企業は福島原発
震災に責任はなかったのだろうか(?)
 また福島県の復興構想の最初に「原発依存からの脱出と
再生エネルギーへの転換」が掲げられていることをどのように
認識しているのか(?)
 さらに日本の企業は大震災からの復興において企業の在り方
がどうなるかを考えているのだろうか(?)
 思いつくままに列挙しただけでもこのような疑問がでてくる。
 原発は国家の政策(国策)であり、それに従っただけとでも
いうのか。
 東京電力をはじめとする電力各社がエネルギー政策も含めて
産業政策に重要な役割を果たしてきたが、それには企業の共同
的役割もあったはずである。
 原発を産業政策として推進してきたのは電力会社だけではなく、
企業も関与し、その一端を担ってきたのだ。経団連が日本の企業の
指導部的役割を持つものそれが原発推進の大きな役割を
演じてきたことも明瞭ではないか。

 原発が人類史的にみて人間のための自然の生成史の先端に
位置してきたことは自明である。だからこその可否と今後ついて
人類史的な判断がいるのだ。これは日本の一企業の問題ではなく、
世界史的なことである。
 経団連は産業史の中でエネルギー産業の推進者であると同時に
その使い手である。つまりはエネルギーの供給者であるとともに
最大の消費者である。それだけに矛盾もふくめて複雑な立場に
あると推察できる。
 それだから、これまでの原発推進政策についての反省を含めた
見直しをやってもらいたいし、人類史的な視点に立っての見識や
構想を提示して欲しいのだ。それが企業の社会的責任である。
私企業といえども社会性が問われることはまたあるのだ。
 原発推進は「原子力の平和利用」や「安全神話」の流布に企業が
果たした役割についてメディアへの批判は強いが、同じことが
また企業に向けられていることを自覚すべきである。

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復興の精神と日本の帰路(四) / 三上治

7月 11th, 2011  |  Published in 往復書簡

復興の精神と日本の帰路(四)
  7月9日
  三上 治

 露地物のトマトやキュウリが美味し季節になった。井戸にほ
りこんであったトマトやキュウリなどに一塩をふってかぶりつく
のが何よりも好きだった。
 少年期を田舎で過ごした記憶が濃厚だったせいか、露地物の
トマトなどは箱ごと買うのが恒例になっていた。子供を故郷に
連れた帰ったとき、何よりも味あわせたかったことだ。子供は
カブトムシや蟬取りに夢中になったけれど、僕の思いは
そうだった。
 でも「もう露地物」はという気分にさせるのが放射能汚染で
ある。これだけでも原発がいかに僕らの生存に反しているかが
分かる。

 政府に提言する復興構想検討委員会の中から原発震災のことは
はずしていた。福島の復興構想は除いてである。大震災と原発震災は
次元を異にしている所もあるからやむを得ない対応とも言える。
 だが、このことは原発震災を福島原発だけのことにし他の原発の
稼働を急ぐことではない。原発震災は福島での特殊事態ではなく、
日本の原発存続に関わる全社会的な問題であるからだ。他の原発は
福島原発を他人事と思えないはずだし、福島復興構想が打ち出した
脱原発を重くうけとめるべきだ。
 その意味で原発再開(停止中の原発の稼働)を経通省や電力業界が
急ぐのは原発震災を何ら受け止めていないと言われて当然である。
 再開《再稼働》を急ぐ理由はない。彼らは来春には次々と定期検査のために
稼働停止になる原発が脱原発につながって行くことを怖れその道を開いて
おきたいだけだ。
 夏の電力事情が逼迫する時期を逸すれば原発再開の理由は見出せない。
その存続の現実的根拠が薄弱になる。
 経産省や電力業界は危機感をいだいているのは分かる。これには
原発の存在に現実的な利益(利権)を得てきた電力業界や
官僚機構の既得権意識だけではなく彼らなりの産業の社会的責任
ということもあるのだろうと思う。
 利益(利権)の観点だけで彼を批判する気はないが、やはり
原発震災から何も学んでいないと言われても致し方ない。
 原発震災は大きな視点と射程を持ってその存続を考える事を
僕らに強いるものだ。
 産業は人間が人間ために生成した自然=社会であるが、原発
産業は人間と自然の代謝(交流)関係に敵対するところがある。
産業一般を超えた問題である。これは原発震災が提起したことであり、
全原発の投げかけていることでもある。
 人間と自然の代謝(交流)に敵対し、破壊的にならない技術制御
(原子エネルギー)が可能になっていない段階で産業化は
やめるべきだ。単なる政策ではなく哲学や思想を持った政治的
構想として。福島の脱原発構想の現実性に応えるために、原発
を推進してきた産業人や官僚も大きな視点に立って考えるべきだ。

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 「小さな懇話会」開催のお知らせ

7月 6th, 2011  |  Published in 事務局からのお知らせ

 「小さな懇話会」開催のお知らせ

今回、
 田中角栄元首相の最後の秘書であった朝賀昭氏を招いて、
 「朝賀昭さんを囲む会」を開催します。

    日時   7月9日(土) 午後6時~8時15分
    会場   八重洲ターミナルホテル
    会費   4000円

 もし、「自分も参加したい」と言う方がいらしたら、ご一報ください。

 ただし、
 当日の飛び込み入場は、お断りいたしておりますので、
あらかじめご了承のほどを。

小沢一郎の不在 / 世川行介

7月 6th, 2011  |  Published in 主張

小沢一郎の不在
                      世川行介

 3・11の大震災以来、僕たちは<世界>を凝視しているの
だが、
 不思議なことに、
 あれだけの大惨事を受けた直後なのにもかかわらず、
 何か、この国では時間が止まったかのような、そんな錯覚に
陥ることが、しばしばだ。
 東北復興作業は、きっと着々と遂行されているのだろうが、
 なにか、その歩みが非常にのろいような錯覚に陥ることが、
しばしばだ。

この奇妙な感覚は何処から来るのだろう?
 と考えた。
 テレビの報道番組、一般新聞、ネットの政治記事、などを凝視して、
 懸命に考えた。

 そして、
 僕は、
「自分のこの奇妙な感覚は、
 この国の政治家としてはずば抜けた政治構想力と実行力を持つ
小沢一郎が、
 いま、実質的に、大震災後の政治現場に不在であることから
生じる「ものたりなさ」なのではないのか?」
 と思うに至った。

 国民の誰もがすでに承知しているとおり、
 民主党の元党首である小沢一郎は、現在、刑事被告人の身だ。
 しかし、それは、
 これまで僕たちがなじんできた通常の訴追ルートに則って訴追
されたのではなく、
 司法を担当する高級官僚群が、
 「検察審査会」とかいう、これまで僕たちがその存在を知りも
しなかった「名ばかり機関」を、
 突然に浮上させて、
 構成員名簿も公表しないその「名ばかり機関」の決定によって、
 小沢一郎を刑事被告人の立場に追いやった結果だ。

 これは小沢一郎を政治から追放しようと考える「思惑ある者たち」の、
「禁じ手」の乱用だ、
 と、僕の眼には写ったし、
 「司法の中立」を信じて戦後昭和を生きてきた僕たちであるから、
 この時、下平成日本の法の運用実態を見せつけられ、少なからぬ
衝撃を受けたのだった。

 しかし、
 この国独特の国民性なのか、いまだ司法への信頼感を失って
いないせいなのか、
 それは僕にはわからないけれど、
「これって、なんか、おかしいぜ」
 と首をかしげながらも、多くの国民は、そのアブノーマルな
訴追行為を、容認した。

 それに対して、僕は、
 小沢一郎がどうとかこうとかはさておき、
「こんな禁じ手の使用を許したら、戦後昭和を支えてきた法
理念の自殺につながる」
 という立場から、
 一貫して、
「こんな愚劣な排除劇を許してはいけない。
 この有能な政治家を、こんな策謀で政治現場から長期間遠ざ
けてはならない。
 政治現場の人間や、小沢一郎を嫌悪する官僚たちが、復帰を
拒絶するのならば、
 僕たち戦後昭和を生きてきた僕たち平成大衆が、
 小沢一郎をすみやかに政治現場に復帰させるよう、声を上げ、
行動すべきだ」
 と主張してきた。

 この『~国民会議Ⅱ』も、
 そうした社会情況を、少しでも多くの人に立ち止まって沈思
黙考してもらいたいがために立ち上げた。
 3・19に予定していた「1万人集会」も、そうした姿勢の
延長上で企画されたものだった。

 この『立ち止まって考えよう国民会議Ⅱ』の責任者の一人で
ある僕も、
 3月11日から今日7月6日まで、
 嫌というほどに、立ち止まって考えた。

 そして、いま、思うのは、
 この停滞感でいっぱいの状況を打開するためには、
 やはり、僕たち一人一人の小さな声と小さな行動が、どうしても
必要なのではないのだろうか、
 という一点だ。

 この『立ち止まって考えよう国民会議Ⅱ』は、あえて開店
休業状態にして、
 自分自身の土俵である『世川行介放浪日記』だけで情況への
発言をしてきたが、
 そうした結論を得て、
 今後は、少しアクティブに行動することにした。

 とりあえずは、
 一緒に、
 「情況を考えるという行動」に参加していただけると、ありがたい。

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